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織田歯科院長の日記
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山科を過ぎる頃、「東海道」なる石標の後ろには、なにやら溝の入った石版が隠して??あるよ「車石」だそうです。説明板には「昔の東海道の逢坂山科と日ノ岡峠は、雨が降ると道がぬかるんでしまい、多くの物資を積んだ牛車にとって、通行が大変困難でした。京の心学者脇坂義堂は、文化二年(1805)に1万両の工費で、大津から京都三条大橋にかけての約12kmの区間に、牛車専用通路として、わだちを刻んだ花崗岩の切り石を敷き並べました。わだちの中に車輪を入れることにより、牛車の通行は大変容易になりました。この石を車石と呼んでいます」つまり昔の路面鉄道?ですね。昔の人の苦労が偲ばれます。


 そのうち、東海道は現代の幹線1号線に吸収されるように合流。あれれ!東海道が消えちゃったよ。と思えば、ちゃんと旧街道は幹線を歩道橋で越えた向こう側にあるよと、教えてくれる看板が設置されています。

歩道橋から見下ろす現代の大通りは「太いなぁ」とすっかり気持ちは江戸時代人になっています。

車の行きかう1号線の脇には、舗装こそされているものの昔ながら道幅と思える街道がのどかに通っています。旧街道には丸型ポストが似合うようです。そして滋賀県との県境を通過です。
 しばらくのどかな道を行くと、逢坂の峠に達します。旧街道らしき道は消えて1号線の歩道を歩かないといけなくなります。
歩道橋からのサクラが見事でした。


1号線への吸収から、わずかに免れた旧街道らしい部分には「日本一のうなぎ屋」があり旧街道賑やかな頃の浮世絵を看板して飾られています。

沿道にはお寺への専用踏み切りもあります。何かふしぎな感じ。

逢坂山の関の碑と逢坂常夜灯を見て峠を下れば大津の宿に到着です。
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