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織田歯科院長の日記
 当医院、歯科衛生士 林晶子さんは出産育児に専念され暫く休職されていましたが、本日より復帰されました。林さんの今後の活躍が期待されます。「いろいろと大変だけど頑張ろうね」

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待合室の窓横で育て始めましたゴーヤのグリーンカーテン。育ってきました。

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 近江鉄道水口駅の踏切を渡ります。宮崎駿さんのアニメ「となりのトトロ」に登場する電車のようです。


そしてこの宿場で印象的な「三筋の通り」にやってきました。入り口には立派な大時計がありますので記念写真。通りがかりの方に撮ってもらいました。今も商店街アーケード街となっています。


残念ながら、多くの店がシャッターを下ろしたままで閉店されています。人の流れがすっかり変わってしまったのでしょう。


 シャッターを閉めたお店の多い中、呉服屋さんのお店がありました。お店の様子が随分懐かしい。私の子供の頃はこのような雰囲気のお店をよく見かけたなぁ。


昔ながらの店構え、失礼ながら昔の世界にタイムスリップしたのでは、と思わせるお店もあります。


宿場の江戸側出口に近い場所に高札場が復元されています。高札場とは今で言うところの、広報板「国からの皆さんへのお知らせ」といったものでしょう。


水口宿の東見付(江戸口)も復元されています。江戸時代、東海道の各宿場は、出入り口に門が設けられ、夜間は閉じられていたそうです。


水口を出て、どんどんと東に向かいます。田植えを前に水の張られた田んぼとお茶畑が美しかったです。


こいのぼりは、ゆうゆうと泳げるような環境って素敵です。こういう環境で育つ子供さんはきっと幸せだろう!と勝手ながら織田は想像します。


珍しく現存する街道筋の松並木に出会いました。勿論、現代において松並木を維持管理していただいている方々に感謝せずにはおられません。緑が目に優しく、日陰も出来て、ホッとします。


このような、かやぶき屋根の民家もありますが、お住みになっている気配は余りありません。


急に自転車隊が背後からやってこられました。松並木とかやぶきの民家のところで一時の休憩を取られました。皆さん中高年のようです。同好の方々が連れ立って走られるのは楽しそうです。このような多人数の自転車愛好家の集団に出会ったのは初めてです。「自転車の旅もええなぁ」と思いました。どのような出会いでこのような団体が結成・存続しているかなど聴いてみようかと思うが早いか。さっと一陣の風のように、休憩そこそこに走り去っていかはりました。


土山宿もどこがその入り口かよく分からないうち到着しました。


宿内、大黒橋側壁に鈴鹿馬子唄の一節「坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」が記されています。


土山宿大黒屋本陣跡に到着しました。東海道の旅2日目の歩行距離は約17.5キロと前回、京から石部まで38キロに較べるとちょっと短めとなりました。

 近いうち、3日目の行程をここ土山より歩きたいと思います。土山を出ると東海道では箱根に次ぐ2番目の難所、鈴鹿峠が待ってます。道中記をお楽しみに・・。

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 つる性の植物でカーテンを造り、夏の日差しを遮ると随分と涼しいと聞きますので、試してみることにしました。当院の待合室南向きの窓に設置しようと、昨日ゴーヤを植えました。
 冷房費節電で省エネ・地球温暖化防止にささやかな一助、緑が目に優しく観賞用に、そしてゴーヤの収穫と欲張りな狙いです。

 
 皆さんゴーヤはお好きですか? あの苦味くせになりますよね!大きく美味しいゴーヤができればよいなぁーと食いしん坊の織田は考えています。

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 横田の渡しの常夜燈のところまでやってきました。このあたりでは横田川と呼ぶようですが、しばらく行くと琵琶湖に注ぐ大河?野洲川をここで当時は渡っていたようです。対岸までは200メートルぐらいはあるようです。今は橋も勿論渡し舟もなく渡る手段がありません。地図を見ると現代の橋はJRの三雲駅近くに掛かっているようです。大分来た道を引き返さないといけないようです。

 現代の橋を渡ります。


橋の袂にお兄さんが変わった車を置いて休憩中でした。個性的だったのでお願いして写真を撮らせてもらいました。アメリカ製だそうです。「大人の三輪車」やね。童心忘れないのは大いに結構!


 横田の渡しの対岸に着きました。写真では分かりにくいですが、巨大な常夜燈が建っています。その際には説明板があります。  


「東海道横田渡常夜燈 この巨大な石灯籠は、文政五年(1822)増加する旅人の目印になるよう、東岸の川岸に地元や京都・大坂を中心とした万人講中の寄進によって建てられたものです。その高さは10.5メートル、燈火を灯す火袋は大人も通れるほどで、道中でも最大級のものとされています。・・・」記されています。


川の渡し側から見ると、太い市道に横切られている細い小道が続いてます。この小道が旧東海道、変哲ない小道が何百年も続く幹線道だと思うと私は感慨深くしてしまうのです。


 小道脇には、イミテーションながら一里塚が設置されています。この一里塚を撮影中、通りがかりのおばさんに「ご苦労様です」とお声掛けいただきました。自分の楽しみのために歩いたり、写真を撮ったりしているのにそのようにお話しいただき申し訳ないような気持ちになりました。


 しばらく行くと、昔の街道の再現のねらいでしょう、松並木が見られます。傍の案内板には「北脇縄手と松並木」の解説がしてあります。「東海道が、一直線に伸びるこの辺りは、江戸時代「北脇縄手」と呼ばれた。縄手(畷)とは田の中の道のことで、東海道の整備にともない曲がりくねっていた旧伊勢大路を廃し、見通しのよい道路としたことにちなむと考えられる。江戸時代、東海道の両側は土手になり松並木があった。街道は近隣の村々に掃除場所が割り当てられ、美しさが保たれていた。・・・」と書かれています。

 いつの間にやら水口に到着していたようです。どこが宿の入り口かよく分かりませんでした。美しいバランスの取れた形態の教会の前を通過しました。近代建築の黎明で有名なヴォーリズの設計とのことです。

 
水口には曳山のお祭りがあるようです。お祭りの準備かと思ったら、片づけだそうです。

 この続きは、またお近いうちに・・・・。

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