忍者ブログ
織田歯科院長の日記
 今日(実際に歩いた日のは8月14日です)は早朝京都伏見を出て電車・バスを乗り継ぎ先日(といっても5月です)歩いた、土山宿から東海道徒歩の旅を続けてきました。無事鈴鹿峠を越えて関宿に到着しました。江戸時代の頃の旅人の歩く距離からすると、次の亀山宿を越えて庄野宿までは歩きたいところではあります。今日歩き始めた土山からだと29.8kmです。一応今日の目標はそこまでとしますが、どうなることやら・・・。


関宿を出ますと、鈴鹿川に沿って伸びる道が旧東海道です。アスファルトの照り返しこそあるものの歩道には街路樹が生い茂り随分涼しく目にも優しく歩く旅を続けることが出来ます。


 しばらく歩きますと、遠く手前から「立派な一本木やなぁ」と目に飛び込んでくる一里塚がありました。「野村一里塚」と呼ぶそうです。幹周り6メートル、樹齢400年のムクの大木です。400年間じっと腰をすえて(当たり前・・)世の動きを見続けてきたのでしょう。そう考えると迫力を感じます。


京側の亀山宿への入り口京口門跡にやってきました。ここが亀山宿の入り口であることは案内板でしか今ではわかりません。「そう云われると道がほぼ直角に曲がっているなぁ」と言う感じです。宿の出入り口は直角に曲げておくというのが当時のルールだったそうです。また、夜間は宿場の出入り口の木戸を閉めておかれることもあったそうです。


 亀山宿内におしゃれな婦人靴を扱う店がありました。店構えに風格があります。


亀山宿の一部は、このように現在も商店街となっています。ここの喫茶店でアイスコーヒーをいただきました。


 亀山宿を離れる江戸口門跡を示す案内板がありました。やはり道が直角に曲がっている以外にそれとわかるものはありません。


 亀山宿江戸口門跡を離れてすぐ、天守閣を発見しました!!でも呉服屋さんの店舗の屋上に聳え立ってます。周囲から随分目立ってます。この天守閣建築には随分お金も掛かっているのではないでしょうか。こちらのお店に寄って「どうしてこのような天守閣を建てようと思い立たれたのか」聞いてみるべきでした。帰宅後も気になります。


 またまた、一里塚を通過します。和田一里塚と言うそうです。先程の野村一里塚に較べると随分木が細いです。平成5年に復元されたものだそうです。


 旧東海道がJR関西線の井田川駅の真ん前を通過するところまで来ました。「今日は庄野宿まで歩こう」とは思っていましたが、意志弱く「今日は旧東海道第二の難所鈴鹿越えもあったしなぁ疲れたやろ、ここからならすぐに電車で伏見まで帰れるし、この辺で今日の旅は終了してもええよ」との内なる声に素直に従いまして、旅を終えることにしました。本日の歩行距離 約24kmでした。
 近い内に、井田川駅前より、織田の「東海道膝栗毛」を続けたいと思います。 次に歩くときは、当時伊勢湾を船で渡る「七里の渡し」の出た。桑名宿まで歩きたいと思っています。この井田川駅からは31kmぐらいでしょう。「うん、たぶん歩ける?・・・歩けるかもね!」

拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
odashika
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索

Copyright © [ 織田歯科院長のブログ ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]